【11月】霜月(しもつき)~小野道風にカエル・柳に燕~

旧暦の由来

 霜の降りるほど寒い月ということから霜月(しもつき)になりました。

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札の解説

 描かれている男性は小野道風で、柳につかまる蛙を眺めているところです。カス札は別名「鬼」とも呼ばれ、柳は雨とも呼ばれます。雨の由来は道風が傘をさしているからとか、柳が雨になびいているからとか他説あります。

ことばあそび

 柳は「なぎら」とも呼ばれ、燕は「つばくら」とも呼ばれます。そこから「なぎ」「つばく」で尻が同じになります。

 

月札の覚え方

雨が降っている様が¦¦で、その象形から11月と覚えます。

 

関連知識

 花札の11月(霜月)札に描かれた、小野道風に蛙・柳に燕に関しては諸説があり、その謎めいた絵柄に対する答えは未だにでていません。そんな小野道風や、描かれている柳・蛙・燕などについて詳しく調べてみることにしましょう。

小野道風の逸話 ~ど根性ガエルの教え~

 小野道風(おののみちかぜ、おののとうふう)は中国的な書の趣から抜け出して、日本的な様式の書の基礎を築き上げた人物として有名です。源氏物語の中でも彼の書は絶賛され、没後には「書道の神」として祀られるくらいの偉人となりました。そんな道風にはある逸話があり、これは現代の学校においての道徳の時間にも用いられるくらいよく知られています。では、それはどんな逸話なのでしょうか。

逸話「小野道風とカエル」  

道風は思いました。

「書の道を志したのに、いつまで経っても名が売れない。きっと私には書の才能なんてものはないのだ・・」

自己嫌悪と諦念の思いに取り憑かれた彼は、なかば絶望的に外の道をとぼとぼと散歩していました。そこに現れたのは、遠くの方にある柳の葉につかまろうと必死に飛び跳ねている蛙でした。

「一体何をしているんだこの蛙は・・。そんな離れた柳に飛びつけるわけがないじゃないか」

不可能にも思えることを、全く臆することなくただひたすら挑戦する姿に、道風は「なんて馬鹿なんだ・・」と侮蔑の情を抱きました。

するとそこに、突然風が吹きこみ、しなった柳に蛙が見事に飛び移ったのです。

その時、道風はハッとなって気づきました。

「この蛙は己の目的のために努力することを惜しまなかった。決して諦めない不屈の精神を持っていたのだ。それに比べて自分はなんて情けないことか。切磋琢磨に自分を磨くことも努力することもなしに、ただ単に才能がないからという理由をでっち上げて、卑怯に目の前の道から逃げていただけだったのだ。」

それからというもの、道風は血のにじむような努力をして、「書道の神さま」と讃えられるくらいまで道を極めることになったそうです。 

 ▼傘忘れてますよ。私も忘れないで~▼

 

11月札の疑問 ~摩訶不思議な札~

 花札の絵柄が月に正確に対応していないことはよく知られていますが、11月と12月に描かれている絵ほど不相応のものはないでしょう。

 12月の桐についてはおそらく、「ぴんきり」や「これっきり」といったように花札の最後をかざることにひっかけたダジャレだと考えられますが、11月についてはなぜそうなっているのか理解できません。柳は春の花であるし、蛙や燕も初夏の生き物です。季節外れも甚だしいと思います。また、この札が「雨」と呼ばれる所以も、道風のさしている傘からなのか、柳のしなった形状からなのか定かではありません。 

 カス札が鬼札と呼ばれる特別なものだったり、四光に雨札が入ると役名が雨四光になったりと、もうこれは何か裏があるとしか思えません。でも、いくら調べても明快な解答をした研究者はいないみたいなので、諦めるしかないみたいです。

 

まとめ

 花札の11月札を幸先よく調べてみたのはいいのですが、結論が結局でずじまいで、逆にもやもやしてしまいました。ここはもう世界のミステリーみたいに、謎があるから面白いと割り切ったほうがいいのかもしれません。ちなみに、道風の逸話はとても興味深かったです。短い話は要点が完結に詰まってるのでとてもためになりますね。日本神話のエピソードもそうですが、たまには寓話的な物語も読んでみてもいいのかもしれません。